【(このブログを書くに至った経緯)・・・私は、昭和44年4月に大谷大学に入学し、伝道部に入部した。しかし、入学したその秋、尊敬していた先輩たち三名(新原忠男、夷藤保、浦田光寿の各氏)は、主だった他の部員たちとの方針の違いから、伝道部を脱会し、大学の正式の部ではない任意グループ「感動舎」を新たに立ち上げた。私と友人三名も、その先輩たちに追随して伝道部を脱会し、「感動舎」の一員となった。「感動舎」は、主として清沢満之先生や曽我量深先生の本、また、ドフトエフスキー等実存主義の作家や思想家の本などを元にしながら活動を続け、卒業後も、新たなメンバーを加えながら、五十年を経過した現在も、「風の会」と名称を変えながら、その活動を継続している。「風の会」では、毎年八月末に一泊二日の研修会を行ってきたが、新型コロナウイルスの影響で昨年は中止となり、今年も昨年に続いて中止されることになった。しかし、研修会に代わるものとして、各自が自由なレポートを出し合うことによって研修会に代えたいということで、各自にレポート提出が要請された。このブログは、このような事情のもとに書いたレポートである。その為、少し硬い文章になっていることを最初にお断りしておきたい】
■哲学者の谷川徹三氏が、「親鸞と私」というエッセーの中で次のような文章を書いておられるのを、最近読むことが出来た(福岡県の菊池進さんの紹介による)。
「清沢先生の精神主義の根本の信条はどこにあるかといいますと、(中略)自分の精神の中に充足を求めるものである。外のものを追いかけたり、他人に従ったり、そういう外のものや他人によって當に煩悶憂悩することのない立場である。先生はその精神主義を完全な自由主義ともいっていられますが、先生が自由といっていられるのはあくまで精神の自由である。つまり自分の精神が外の何ものにもとらえられることがないという意味における自由主義であります。
これについて私は思い出すことがある。私は京都大学の学生時代、一高の先輩で東京の大学を出てから京都の大学院に来ていた久保正夫という人と友人になりました。この人は、(中略)実はのちに私の姉と結婚したのですが、結婚後間もなく亡くなった。その久保正夫が私にこういったことがある。『他人によって傷つけられるものは自分のエゴイズムだけである。自分の本質は決して他人によっては傷つけられない』このことばは当時私に非常に強い感銘を与えました。
何かことあるごとに私はこの言葉を思い出していたのでありますが、いまから考えますと、このことばはまさしく清沢先生の精神主義の立場であります」
谷川徹三氏は、この文章の中で、清沢先生の精神主義の本質を見事に洞察しておられると思う。すなわち、清沢先生の精神主義は、完全な自由主義である。その自由は、あくまでも精神の自由であり、それは、自分の精神が、外の何ものにもとらわれることがないことだと、そういうふうに精神主義の本質を押さえておられる。
また一方で、若くして亡くなった友人の久保正夫が、谷川に語った言葉、「他人によって傷つけられるものは、自分のエゴイズムだけである。自分の本質は決して他人によっては傷つけられない」を取りあげて、この言葉と、清沢先生の、「自分の精神が、外の何ものにもとらわれることがない」という精神の自由主義とは、同一の世界から出た言葉であることを洞察しておられる。
■先日ある真宗の僧侶が、フェイスブックに、「『役に立たなくていいです。人は何かの役に立つために生れてくるのじゃないのです』という法語はあります。しかし、こんな事を本当に受け容れるのはどれほど困難か、最近身に染みて感じています。役に立たない自分を受け容れることはなかなかできません。社会に貢献しなければいけないと!周りに迷惑かけたらあかんと、社会によって小さい頃から教え込まれています」と、自分自身の現在位置を正直に書いておられたが、社会や人々の役に立つ自己、これはあくまでも、対人的、対社会的な自己である。しかし、この自己は、社会や他人によって左右されることをどうしても免れ得ない相対的自己である。そこにおいては、完全なる精神の自由は見出すことができない。完全なる精神の自由は、自己と如来との関わりの内における永遠の自己を見出し、その自己を生きることによってしか開かれることはないと思う。
■では、そのような自己とは、一体どのような自己であろうか。それは、善導大師が、「決定して深く、『自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし』と信ず」と述べられたところの機の深信の自己、さらに、親鸞聖人が、善導大師のこの機の深信の言葉の要を、「決定して自身を深信す」という一語に凝縮され、それを「第一深信」と表明されたところの自己に外ならない。その自己は、自分で考え思い定めた自己ではなく、如来によって久遠の昔から呼び出され、受け止められてきた宿業の自己なのである。
藤原鉄乗先生が、「打ちくだかれて 打ちくだかれて ほがらかに、わがつみひとは 立つにあらずや」と歌っておらるように、私自身は、自分自身の宿業の重さにへたばり、蹲って、ただ泣いておることしかできない者であるが、如来は、その私の宿業を「我が宿業」と引き受けられて、私に代わって、涙をはらって、朗かに立ち上がってくださるのである。(それが、法蔵菩薩である)
■わが師大石法夫先生は、師の藤解照海師から、
「公衆の面前で、蛙がトンビに引き裂かれるような辱めを受けても、ただ念仏しておれる心をもらいなさい。大石さんには、まだその心がないから言うのじゃ」
とよく言われたと語っておられた。また、
『自分よりノ、大石さん、悪人が一人でもおると思うとる間は、この道はわかりませんよ。』
『親でもノ、本当の自分の心を見たら裸足で逃げるよ。』
『本当の自分を知ったらノ、友達はできはせんよ。あの人だけは友達じゃ、いうものがある間は、この道はわかりませんよ』
こういうことも、よく藤解師から言われたとも語っておられた。
こういう言葉は、ヒューマニズムを基調とする人間世界に慣れ親しんできた我々現代人において、おいそれと受け容れられる言葉ではないであろう。ヒューマニズムの世界は、人や社会の中において始めて自分の位置づけを得ることができる相対的な自己を生きる世界であるからだ。しかし、こういう世界に生きる自己を、ある友人がいみじくも言ったのであるが、「善人気取りの自分」というのである。この「善人気取りの自分」は、常に自分の外からの評価を気にする自己であるから、社会や他人によって左右されることをどうしても免れることができない。そこにおいては、清沢先生が言われた完全なる精神の自由は、とうてい見出すことはできないのである。
清沢満之先生は、「追放可なり、牢獄甘んずべし。誹謗、擯斥、許多の凌辱、豈に意に介すべきものあらんや。我等はひたすら、絶対無限の我等に賦与せるものを楽しまんかな」と書いておられるのである。また、親鸞聖人も、「誠に仏恩の深重なるを念じて、人倫の哢言を恥じず」(『教行信証』「信巻別序」)と述べられ、更にまた「ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲りを恥じず」(『教行信証』「後序」)と述べておられるのである。
このような、人々の毀誉褒貶に左右されず、それを甘んじて受けていける世界、それをこそ、機の深信の自己、第一深信の自己というのである。第一とは、順番の第一ではなく、「原点」「根本」という意味での第一である。清沢先生は、如来との関係において、そのような自己を呼び覚まされ、そのような自己を生きること、そのような絶対界の風光を一貫して語ってくださっておられたのだということを、今、深い感謝の念をもって思うのである。
■親鸞聖人は、二十年間懸命に求められた末に、完全に挫折して法然聖人に出遇われた時のことを、「親鸞におきては、『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と述べておられる。ここで「信ずる」とは、何を信ずるのであろうか。それは、「よきひとのおおせ」というより、そのおおせによって呼び出されたところの何ともならぬ宿業を抱えたわが身である。そのわが身に帰られたのである。
すなわち、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という法然上人のおおせは、念仏の行をすすめておられるのではなく、「私は、あらゆる行に挫折して、どこにも行く道を失った。その私の身を、久遠の昔から待ち続けておられた弥陀の呼び声に出遇つた。その呼び声によって、始めて私は、行き場のないわが身に帰ることができたのです」と、そういう法然上人の身を以ってのおおせ(身業説法)が、百日間の聞法を通して親鸞聖人に聞こえてきたのであろう。それは、法然上人のおおせの上にあらわれている弥陀の呼び声である。その呼び声は、同じく行き場を失っているこの親鸞を呼んでいる。その呼び声に呼び出されて、始めて親鸞聖人も、何ともならぬ宿業を抱えたわが身を呼び覚まされ、その身に帰ることができたのである。それを「決定して自身を深信す」という言葉であらわされたのである。
その「決定深信自身」の「自身」は、清沢先生が、精神主義という言葉にこめて表現されたところの自己と同じであり、もはや人々の毀誉褒貶に左右されることのない、如来との関係の中において充足した久遠の自己なのである。
■私は今、古稀を過ぎて、今までの人生において最もつらい状況にあり、これからも一生茨の道を歩んで、この生涯を終えることになると思う。しかし、人生の最後において、このような厳しい宿業のわが身を思い知らされたことによって、今まで七十年間生きてきた「善人気取りの自分」が粉々に粉砕され、そのことによって、清沢先生の絶対界の風光を語る教えの一つ一つが、今までになかった新鮮な響きをもって、深く、胸に響くようになったことを、殊に有難く思うのである。
そういうことを感じるにつけ、今から五十二年前、青春の多感な悩みを抱えた時期に大谷大学に入学し、伝道部に入部し、尊敬する先輩や友人たちと共に『清沢満之文集』を読み、清沢満之先生の精神主義に触れ得た幸せを、今更のように感じている次第である。
■今日SNSによる誹謗中傷が相次いでおり、大きな社会問題になっている。また、人間関係の悩みは、いつの時代も、またどこに行っても尽きることはない。人間どんな人も、たとえ一見強そうに見える人でも、それほど強くはないのである。それだけに、一人一人において、如来との関係の中において、外からの毀誉褒貶に左右されることのない永遠の自己を呼び覚まされることの大事さを、自分自身のこととして強く思うのである。
(2021年8月1日記す)