• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

大石法夫先生のプロフィール等

大石法夫先生の画像

  

大石法夫先生の略歴

 大正10年(1921年)、広島県大竹市に生まれる。昭和17年、京都大学法学部入学。昭和18年12月、学徒出陣で海軍入隊。翌年、海軍の水中特攻兵器、人間魚雷「回天」の搭乗員となり、山口県の光基地で出撃に備えての訓練に入る。死ぬことを前提とした訓練の日々の中で、人間として生まれた意味を見出したい、ほんとうの安らぎを得たいという願いが起こり、訓練の合間の休日に光市内のお寺に足を運ぶようになる。出撃 が目前にせまり死も覚悟していたが、昭和20年8月、終戦となり、死を免れる。その後京都大学に復学し学業を再開したが、人生問題の解決を見出せず、学業のかたわら、臨済宗の修行道場妙心寺に通い参禅する。昭和21年12月、郷里の広島にて浄土真宗木辺派の僧侶藤解照海師に出会い、暗闇に一条の光がさしこむような感動を覚える。その頃既に就職先も決まり、婚約者もいたが、藤解師の主宰する仏法の道場、六光学苑に入苑し出家生活に入る覚悟を決め、婚約解消を申し入れる。親族会議が開かれる事態となったが、結局結婚して夫婦で入苑してよいことになり、新婚間も無い昭和22年、妻と共に六光学苑に入る。以来藤解師の元で聞法一筋の厳しい生活を続ける。その後法林寺副住職を経て平成9年に法林寺を出られ、2008年(平成20年)5月13日、87歳で亡くなるまで、月3回自宅で法話会を開かれ、また全国各地での法話会に出講された。

【著書】●「生まれてよかったですか」「どうなろうとこの道ひとつ」「人みな願いに抱かれ 
      て」 「許されて生きる」「闇の中に光あり」「念仏は生きている」
       ※いずれも樹心社(042-577-2778)発行
     ●「大石法夫先生直筆書信集」上巻・下巻
       ※外堀印刷(097-536-2666)印刷発行
    

私と大石法夫先生との出遇い      

 2000年(平成12年)9月頃のことです。私は、その時50歳になっていました。妻が茶の間で、私の知らないある先生の法話をテープレコーダーで聞き始めました。私は、奥座敷で本を読んでいました。法話の声が、廊下伝いにぼそぼそと聞こえてきます。勿論内容は聞き取れません。私は、本を読みながら、その声の響きを、聞くともなしに聞いていました。しばらくして、どういうわけか、「もしかしたらこの声の主は、私が命を懸けても出遇いと思っている先生かもしれないな」と、そんな思いがひょいと起こったのです。なぜその時、そんな思いが私に起こったのかは、私にはわかりません。恐らく、その頃、私も、妻も、父親も、3人の子供たちも、皆行き詰まっていたのだと思います。もっとも、意識の上ではそんな自覚は全くありませんでした。しかし、今振り返ってみてそう気付くのです。その声の主が大石法夫先生だったのです。 
  そういう出来事がきっかけとなって、私は、師の話を聞き始めました。 その後、53歳の時、師の話を専念して聞く為に役所を早期退職。妻と2人、月3回、大分県湯布院町にある自宅を午前2時に出発。国道2号線をひた走って、午前9時から始まる広島市での師の法座に通い続け、午後4時、法座が終ると、再び国道2号線を引き返し、午前1時過ぎ頃帰宅するという生活が4年間続きました。   
  2008年(平成20年)5月13日、師が87歳で逝去されました。 その後は、自坊で毎月、師の残された書信を、同行さん方と輪読しつつ今日に至っています
     

  「心光寺からの便り」(第1期)のバックナンバー

  心光寺では、2001年(平成13年)3月から、大石先生がお亡くなりになる直前の2007年(平成19年)12月まで、毎月16日に先生にご出講いただいて「心光寺定例聞法会」をお勤めしました。その案内状と合わせて、前月の先生の法話を聞かせていただいた私の受け止め内容を書いたもがこれに当ります。
  【No1】 2001年(平成13年)9月号から、大石先生が癌の手術で2003年(平成15年)12月11日に入院される直前、【N027】2003年(平成15年)12月号【N027】まで、毎月発行しました。
 バックナンバーについては、「第1期 心光寺からの便り(バックナンバー)」の中にPDFファイルを添付しましたので、そこからダウンロードしてご覧ください。

「心光寺定例聞法会便り」(第2期)につて  


 大石先生が、2004年(平成16年)3月27日に退院された後、2004年(平成16年)5月に心光寺での聞法会を再開しました。その後2008年(平成20年)5月13日に先生は亡くなられましたが、その後も、先生の書き残された書信の輪読会を行うというかたちで、現在も「心光寺定例聞法会」を毎月1回心光寺で開催しています。
   その間、2004年(平成16年)5月から、2006年(平成18年)1月まで、「心光寺定例聞法会」の案内状として、先生が過去に話されたご法話の抜粋や書信の言葉と、それについての私の受け止めを書いたものを同行の皆様にお送りしてきたものがこれに当ります。
 尚、この期間のものは、法座の案内を中心とした簡略な内容ですので、バックナンバーの掲載は省略いたします。

  「心光寺定例聞法会便り」(第3期)のバックナンバー


  2012年(平成24年)の初め、同行さんのお一人、安藤康彦さんが、2011年(平成23年)12月開催の輪読会の記録を、テープ起しして持って来て下さいました。全く予期せぬことでしたが、安藤さんのご苦労を無にしてはならぬという思いから、それを編集し直して、【No1】「心光寺定例聞法会便り」第1号として発行しました。その後、毎月行われる例会の記録を、年に1、2回という遅々としたペースながら発行し続け、2018年9月、ようやく【No10】「心光寺定例聞法会便り」第10号まで発行したものです。
  バックナンバーについては、「第3期 心光寺定例聞法会便り(バックナンバー)」の中にPDFファイルを添付しましたので、そこからダウンロードしてご覧ください。