• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

No8 – 法蔵菩薩の眼差しによって生きる力を回復する

■【始めに】

 私は、前回心光寺のホームページに投稿したブログNo7の最後に、次のように書きました。

   「自分自身の自我の闇に行き詰って、生きる意欲さえ見失っていた者が、法蔵菩薩のこの呼び声が聞こえてき 
  たことによって、もはや自我の声に耳を傾けることなく、ただこの本願の呼び声一つを聞きつつ生きていこうと 
  生れ変る。(中略)

 これは、人間の次元の一切に行き詰った者が、人間の次元を超えた名号という呼び声に触れて新しく生まれ変わるという道です。これは、単なる教義の問題ではありません。宗教の違いをも突破した道です。最近私は、キリスト教の牧師小笠原亮一師の回心体験を読んでそのことを強く感じる経験がありました。生きる意欲をすっかり失って自殺未遂にまで至った小笠原師が、三度まで裏切ったペテロに注がれるイエスの眼差しに触れ、以後イエスの自分に注がれる眼差しのみをいただきつつ生きていこうと蘇った。その転機について語っている文章に触れて大きな光を感じたのです。そこで、次のブログ(No8)では、そのことについて書いてみたいと思います。」

 それで、今回のブログNo8では、その小笠原亮一師のことについて書いてみたいと思います。


■私は、あることがきっかけで、キリスト教の牧師小笠原亮一師の『共に在ること』(日本基督教出版局)という本を読み、非常に大事なことを教えられました。

 小笠原亮一師は、1938年に青森県に生れ2011年に73歳で亡くなられた方です。
 師は、死にかかったことが三度あったと言われます。一度目は、生まれた時から非常に病弱で、成長の過程において何度も死にかかり、その都度母親が懸命に介護しながら育ててくれたお陰で何とか生き延びることができたと書いています。これが一度目です。

 二度目は、小学校五年生の時敗戦を迎えましたが、出身地でも激しい空襲が続き、住んでいた町は丸焼けとなり、九死に一生を得て生き延びたそうです。これが二回目。

 三回目は、京都大学の哲学科に進学し、精神的に行き詰って自殺未遂に至ったことです。なぜ自死に走ったかというと、戦時中、学校の教師や周りの大人たちから、天皇陛下の為に死ぬことが男子にとっての最高の生き方だと教えられ、自分もそういう生き方をしようと思ってきたが、敗戦を境に、教育者や大人たちは、一斉に民主主義を叫ぶようになった。それを見て大人たちの言うことが信用できなくなり、人生にとって何が善いことなのか、どう生きることが人間の目指す生き方なのかを、自分で見極めて、それに従って生きようと思うようになったそうです。それで大学では哲学科に進み、カント哲学を学び、自分の良心に従って生きることが人間にとって最高の価値であることを学び、その生き方を徹底していったそうです。しかし、やがて良心に反する自分の内面のどうしようもない醜さや闇に直面するようになり、起きている時も寝ている時も、良心の眼に見張られ、脅迫されているような気持になって、精神的に追い詰められ、とうとう自殺をはかったのです。結局自殺未遂に終わったものの、精神科に入院せざるを得ない状態となりました。それが三回目です。

 精神病院に入院した時、郷里から父親がやって来て、父親は、「おまえに死なれたら、自分たち夫婦は生きることができない」と呻くように言ったそうです。しかし、その時師の心はすっかり疲れ切っていて、その父親の言葉にも、何の反応も起こらず、自分の存在の意味を完全に見失い、生きる屍のようになっていたと述べています。


■師がキリスト教に出遇ったのはその頃だったそうです。

 『ルカによる福音書』には、イエスがペテロの裏切りを予告する次のような記述があります。

   「シモン(ペテロの別名)は『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言っ   
  た。イエスは言われた。『ペテロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言 
  うだろう。』」
         (『ルカによる福音書』22-31)

そうイエスから言われても、ペテロは、内心では、絶対裏切らないと心に誓っていたのです。ところが、その日のうちにイエスが捕らえられ、張り付けの刑を受けるべく、十字架を背負わされて刑場に引き立てられて行きます。群衆がその後をついて行きます。ペテロも、後ろの方から身を隠すようにして、恐る恐るついて行きます。その途中、群衆の中の一人が、三度ほどペテロに向って「お前もイエスの仲間だ」と言います。しかし、ペテロは三度ともそれを強く否定します。ペテロが三度目に否定している最中、突然鶏が鳴きます。その時の様子を、『ルカによる福音書』には次のように書いています。

   「一時間ほどたつと、また別の人が、『確かにこの人も一緒だった。ガリラヤの者だから』と言い張った。だ 
  が、ペテロは、『あなたの言うことは分からない』と言った。まだこう言い終わらないうちに、突然鶏が鳴い
  た。主は振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らない
  と言うだろう』と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」
                      (『ルカによる福音書』22-61・太字筆者)

こう書かれています。「主は振り向いてペテロを見つめられた」―この記述があるのは、四書福音書の中でも『ルカによる福音書』のみです。ただし、その眼差しがどういう眼差しであったかということについての説明は一切ありません。しかし、ペテロにとっては、この眼差しは決定的だったのです。ペテロは、やがてこの眼差しに支えられ導かれて、回心し、最期は殉教していったのでした。

■小笠原師もまた、この眼差しに触れて、生きる屍のようになっていた自分に、生きる意欲が与えられたと述べています。師は、次のように書いています。

   「福音書を読んだ時、キリストは私に次のように語りかけてくださいました。『お前は天の父にとってかけが
  えのないものなんだよ。私がお前のかわりに十字架にかかったんだから、お前は生きるんだよ。お前が死のうと
  思った時、みじめに泣いていたけれども、あのお前のみじめな死を私がかわりにひきうけたのだから、お前は生
  きるんだよ。』私は、私が自分を見捨てたような時になっても私を見捨てない方を間近に感じました。私はその
  時から、私の眼で私を見ることが嫌になってしまいました。また、他の人の眼、世間の眼も嫌になってしまいま
  した。私はキリストの眼で見つめられたいと思いました。私は、自分の声や世間の声よりも、キリストの声を聞
  きたいと思いました。私はその頃、良心に脅迫されていましたから、自分の眼や世間の眼を感ずると死にたくな
  るのでした。キリストの眼で見つめられ、キリストの声を聞く時、私は生きたいと思いました。私はキリストに
  よって死ぬことをやめたのです」
                (『共に在ること』15~16頁・太字筆者)

こう書かれていた小笠原師の言葉に、私は大きな光を感じたのです。

 すなわち、小笠原師は、他の人の声や世間の声や自分の声、つまり、地上の人間のいかなる声によっても、自己の存在に尊厳性や価値を見いだすことが全く出来なくなっていたのです。そして、この地上に生きていく意欲を完全に失い、生きる屍のようになっていたのです。その小笠原師に、地上の一切の価値基準以前の声、自分にもこの地上のどこにも居場所を見出せずにうずくまっている自分に、「私は、あなたの罪業の身そのものを私自身とする」と呼びかけてくる声が、イエスの眼差しを通して聞こえてきたのです。小笠原師は、この声を聞いて、自分の声を含めたこの世の一切の毀誉褒貶の声から解放されて、自己の罪業の身に始めて帰ることができたのです。


■私は、親鸞聖人が、法然上人を通して聞かれた法蔵菩薩の呼び声も、これと同じ内容の声であったと思うのです。
 すなわち、他の人の声や世間の声や自分の声は、自身の罪業、宿業を責める声ですが、法蔵菩薩の声は、責めずに痛み、その身を「すなわちわれらなり」と、自分自身として担う声です。その声が、南無阿弥陀仏の名号の中身です。自己の罪業、宿業の重荷に喘ぐ私は、この南無阿弥陀仏という法蔵菩薩の呼び声を、よきひとを通して聞くとき、呼びかけた法蔵菩薩の願心が、信心となって私の中から生まれてくるのです。そして、自己の罪業、宿業の身を生きていくことが

出来る者となるのです。ですから信心は私の心ではなく、法蔵菩薩の願心です。
 このよきひとを通しての法蔵菩薩の呼び声は、裏切るペテロを見つめるイエスの眼差しと同じ内容のものだと思います。ここに、私は、宗教の垣根を超えた、生きとし生ける衆生の救いの原点を見る思いがするのです。小笠原師は、この眼差しに触れて、良心に背くあり方しかできない、罪を抱えて生きざるを得ない自分に帰ることができ、完全に失っていた生きる意欲を回復したのです。

 とりわけ私には、「自分の声を聞かない」というところが、強く心に響くのです。世間の声も人の声も自分を追い詰めるものですが、最終的には、自分の声が一番自分を追い詰めるのではないでしょうか。小笠原師もそうでした。私の場合もそうです。「自分なんか生きていても価値がない」―こういう自分の声によって、私どもは生きる意欲を失っていくのです。

 でも、小笠原師がイエスの眼差しの中に感じた声は、そのような自分の声に左右されない、それよりもはるかに深い、存在そのものの声です。地上の一切の声を超えた永遠の声といってもよいでしょう。

 この声が、宿業に喘いで生きる一切衆生の身の深い所に、法蔵菩薩の声となって流れていることを、『仏説無量寿経』は説いているのです。

 この声が聞こえている時は、地上の声は、たとえ聞こえても、もはやそれに左右されないのです。

   「私は、世界中の人が、あなたなんか生きている価値のない人間だと口をそろえて言っても、無条件に、あな
  たを、この世で唯一無二のかけがえのない存在として尊ばずにはおれないのだよ。私は、あなたが物理的にも、
  精神的にも、今どんな状態にあろうとも、そのあなたと身を一つにしているんだよ。他の所には居ないんだよ。
  そこにしか、私は居ないんだよ。」

   「私は、あなたがどうしても引き受けられずに投げ出したいと思っているあなたの罪業、宿業の身に、私の身を一つ
  にして生きる。だから、あなたもあなたのその罪業、宿業の身を生きていこう」

このように、法蔵菩薩は、他の人の声や世間の声や、とりわけ自分の声に怯えている私に向って、呼びかけるのです。小笠原師は、この声だけを聞いて、やっと生きていけるようになったのです。他の人の声や世間の声や自分の声を聞くと生きていけなくなるので、これからは、この声だけを聞いて生きていこうと思うようになったのです。


■私も同じです。私は、人の声や世間の声や自分の声が耳に入ってきて、常にふらふらになって、もう駄目だと思うことがしょっちゅうあります。そういう中にあって、先に書いたような法蔵菩薩の声が自分にかけられていることを感じる時、「ああそうだったな。私は、たとえ人の声や世間の声や自分の声が私の耳に聞こえてきても、それに左右されず、この声だけを聞いて生きていこう。人の声や世間の声や自分の声は、第三者の立場に立って、容赦なく私を評価するだけで、別に、私の罪業、宿業の身と一つになって生きてくれるわけではないではないか」。そう思うようになったのです。

 親鸞聖人は、「他力と言うは、如来の本願力なり」(真宗大谷派『真宗聖典』193頁)とおっしゃっています。「如来の本願力」とは、阿弥陀如来が法蔵菩薩となって、私の罪業、宿業の身の深い所から、私を前述のように呼びかけ、宿業に苦しむ私の身を「わが宿業、わが罪業」と担って生きてくださる、すなわち私の真実の主体なって生きてくださる法蔵菩薩の力のことではないでしょうか。法蔵菩薩は、今私がいるところに、その私が今どんな身心の状態にあろうとも、その私と一つになって、運命を共にしてくださるのです。そして、そんな私の真の主体となって生きてくださるのです。それが、私自身の本来の力というべきものです。ですから、「他力」と言っても、私の外の力ということではないのです。むしろ、私の宿業の身の深い所に流れている本来力、本能力、すなわち法蔵菩薩の力に目覚めて生きるということです。

 親鸞聖人は、「弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(真宗大谷派『真宗聖典』640頁)と、いつもいつもおっしゃっておられたと、唯円大徳は伝えてくださっています。これは、阿弥陀様は、誰にも代わってもらえない罪業、宿業を抱えて喘ぎながら生きている孤独な私を救う為に、「私一人の仏さま」となって、「私の真の主体」となって、私の罪業、宿業の身を生きてくださるということです。それが法蔵菩薩という仏さまです。

 小笠原亮一師が、「私はその時から、私の眼で私を見ることが嫌になってしまいました。また、他の人の眼、世間の眼も嫌になってしまいました。私はキリストの眼で見つめられたいと思いました。私は、自分の声や世間の声よりも、キリストの声を聞きたいと思いました。私はその頃、良心に脅迫されていましたから、自分の眼や世間の眼を感ずると死にたくなるのでした。キリストの眼で見つめられ、キリストの声を聞く時、私は生きたいと思いました。私はキリストによって死ぬことをやめたのです」と述べておられる言葉に接した時、同じように、私に対して呼びかけてくださる法蔵菩薩の声を聞かせてもらっているように感じたのです。私は、この法蔵菩薩の呼び声だけを聞かせていただいて、やっと生きていくことができる者なのだなと感じたのでした。

■釈尊の教えに、「第一の矢は受けても、第二の矢は受けない」という有名な教えがあります。第一の矢というのは、私どもの出遇う様々な出来事のことです。私どもは宿業の身を生きていますから、第一の矢を避けることはできません。けれども、教えの智慧をいただくことによって、どうにもならないことをどうにかしようとする第二の矢からは解放されるという教えです。私は、先日あることで落ち込んでいた時、改めて、ある方からこの教えを聞かせていただき、「ああそだったな」と、随分助けられる思いがしました。しかし、時間がたつと、またしても、どうにもならないのにどうにかしようとしてくよくよと思い悩む自分が出てきました。そして、「何と自分は情けない人間なのか」と思い、余計に落ち込んでしまいました。

 龍樹菩薩が書かれている「儜弱(にょうにゃく)怯劣(これつ)」という言葉を思い出しました。

   【註…龍樹菩薩は、聖道門を陸の道にたとえて、陸の道を歩くことができないと弱音を吐く自分自身を叱りつ
  ける時、「儜弱(にょうにゃく)怯劣(これつ)」という言葉を使っておられます。怯劣(これつ)というのは、怯えているということです。卑怯と
  いう意味もあるでしょう。弱弱しく、怯えて、劣っている者ということです。そういう儜弱(にょうにゃく)怯劣(これつ)の者に呼びか
  ける教えが本願の教えだと述べておられます】

 その時です。今心光寺に掲示している掲示板の言葉を思い出したのです。それは次のような言葉です。

   「自分自身のいないところに 仏さまはいない」(平野修先生)

 「自分自身のいないところに 仏さまはいない」―言い換えれば、自分自身のいるところには、それがどんな自分であろうとも、そこに仏さまは居られるということです。もっと言うと、それ以外のところには仏さまは居られないということです。その仏さまとは、法蔵菩薩のことです。法蔵菩薩は、親鸞聖人が、「弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。」とつねにおっしゃっておられたように、罪業、宿業の身を生きる私一人のところに、つねに居られるのです。

 それで私ははっと気づかされました。お釈迦さまは「第一の矢は受けても、第二の矢は受けない」と言われたのに、私は第二の矢も、第三の矢も、第四の矢も…、次々と受けてゆく情けない人間です。しかし、それがまぎれもない私自身なら、そこに法蔵菩薩は居ってくださるのでした。「そんなあなたのところに私は居るよ。そして、あなたの宿業の身に、私の身を一つにして生きていくよ。だから、あなたも私といっしょに、あなたの宿業の身を生きていこう」、そう法蔵菩薩は呼びかけてくださるのでした。

 人の声や世間の声や自分の声に追い詰められて、生きられなくなったペテロや小笠原亮一師は、世間の声や自分の声が決して届かない、それよりもはるかに深い所から呼びかけてくるこの法蔵菩薩の呼び声が聞こえてきたとき、新しく生まれ変わることが出来たのです。そう私は感じたのです。

 法蔵菩薩は、このようにして、私を呼んでくださり、私が、その声を聞くことが出来たとき、私の身の深いところに流れていた法蔵菩薩の魂(願心)を呼び覚まされ、その法蔵魂が私の真の主体となって生きてくださるのでした。それを親鸞聖人は、「他力と言うは、如来の本願力なり」とおっしゃってくださったのでした。

(2022年8月6日記す)

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