―法語「お待ちしておりました」について― 経緯 ■私は、自坊心光寺の2025年5月の掲示板法語として、師の大石法夫先生の言葉を掲示いたしました。そして、5月の心光寺の寺報に、この言葉についての私なりの説明と受け止めを書か ...
続きを読む(2025年5月心光寺掲示板の法語) 「本願招喚の勅命」 「ただ 私を 待っておってくださった 仏様が信じられた ということだけが私の 生かされていく 道だった」(大石法夫先生) ■今月の掲示板の法語は大石法夫先生の言葉 ...
続きを読む■(先に私が投稿したブログNo18「永遠の魂の流浪者、求道者、旅人」を読まれたある方がメールをくださいました。以下は、それに対する私からの返信です) ■丁寧にお読みくださり率直なご感想を詳しくお書きくださり心からお礼を申 ...
続きを読む(※ある方への返信というかたちで、法蔵菩薩と他力について考えてみました。) ■先に投稿した(ブログNo17)「南無阿弥陀仏の名号を聞くとは」と(ブログNo18)「魂の永遠の流浪者」を読んで下さったある方から、ご自分の長い ...
続きを読む■【本の概要】・・・池田晶子氏は、専門用語によらず日常の言葉によって、「人間にとって考えることの大切さ」について語り続けた真に魅力的な哲学者であった。この池田晶子氏が、東京拘置所に拘留中であった陸田(むつだ)真志から ...
続きを読む■私はだいぶ前にあるご婦人から、次のようなお電話をいただいた。 「今年、亡き夫と義父(夫の父親)の法事を迎えることになっています。しかし、生前二人が私に加えてきた酷い仕打ちを思うと、どうしても二人を許すことが出来ません。 ...
続きを読む「南無阿弥陀仏の名号を聞くとは自己自身を聞くこと」 ■名号を聞くとは、法蔵魂を聞くことである。 法蔵魂こそが真実の自己自身である。 法蔵魂とは何か。法蔵魂とは法蔵菩薩のわれらに対する絶対信のことである。 々がどんなに ...
続きを読む●清沢満之先生は、御自身のことを「私の如き感じ易きもの」と書いておられます。そのために、人間関係で苦しまれることも多かったようです。その清沢先生に大きな智慧の光を与えてくれた書物の一つが『エピクテタスの語録』でした。エピ ...
続きを読む以下の文章は、自分の良心の脅迫に追い詰められて、生きていけなくなった小笠原亮一師が、『ルカによる福音書』に記されているイエスの眼差しに出遇って、生きる意欲を取り戻していった際の内面の記録です。そのイエスの眼差しというの ...
続きを読む■この写真は、清沢満之師の孫で、後に暁烏敏師の孫暁烏宣子さんと結婚して暁烏敏師のご寺坊明達寺に入寺された暁烏哲夫師の著書『信流記』の130頁~131頁の写真です。写真では少し読みにくいかも知れませんので、次にこの文章を書 ...
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