• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

法蔵菩薩はわれらの更に下におられる

■しばらく前のことになるが、ある方から葉書のお便りをいただいた。

  「王舎城の悲劇の原因となる発言をしてしまったお釈迦様が、お聖人様にと
  っては凡夫の一人というお話に驚かされました」
このような文面だった。この経緯について述べると…
 過日2月28日、「しんらん交流館定例法話」でお話する機会があった際、次のような事をお話しした。
 

 ……『正信偈』に「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(釈迦如来がこの世にお生まれになられた理由は、ただ弥陀の本願海を説く為であった)とあるお言葉について、ご自身が聞かずして人に説くということはあり得ないので、これは本当は「釈迦如来がこの世にお生まれになられた理由は、ただ弥陀の本願海を聞く為であった」 ということではないか。その背景には、王舎城の悲劇がある。王舎城の悲劇の発端となったのは、実は、釈尊が提婆達多に発した「汝、痴人唾を食らう者をや!」(『真宗聖典』269頁)という提婆達多を激しく罵倒する一言だった。だから釈尊は、「あなたのせいでこんなことになった」と泣き叫ぶ韋提希夫人を前にした時、一言も発することができなかった。「あなたの言う通りだ。すまない」このように自らの宿業を心の中で懺悔される釈尊に、「その宿業の身を生きる汝を我は待っている」という法蔵菩薩の呼び声が聞こえてきた。その時釈尊は、「ああ、私はこの呼び声を聞くためにこそ人間に生まれてきたのだった!」と感動された。それが「 如来所以興出世 唯説弥陀本願海」という言葉の真意ではないか ……と。

 ところが、その場に出席しておられたあるご婦人が、その話に衝撃を受けられたらしく、法座の後、友人二人にそのことを話されたようだ。そして、翌日2月29日の晨朝法話後、その三人が私の所に来られて、「その話をもっと詳しく話して欲しい」と言われたのである。そこで私は、次のような王舎城の悲劇の隠された経緯をお話しした。尚、この話は、 故小林光麿先生からお聞きしたものであることをお断りしておきたい。

■……釈尊在世当時、古代インドの大国マガダ国の王妃韋提希夫人が、最愛の王子阿闍世の反逆によって、夫の頻婆娑羅王を餓死に至らしめられた。そればかりか、自らも危うく殺されそうになり、家臣の諌めによってかろうじて命だけは助かったものの、牢獄に幽閉の身となり、悲歎にくれていた。その時釈尊は、ちょうど霊鷲山で多くの弟子を前にして説法中であったが、韋提希夫人ののっぴきならない苦境を察知して、説法を中断して獄中にかけつけられた。韋提希夫人は、予期していなかった釈尊の姿に接して、思わず釈尊に向って、泣き叫びながら、次のような怨みの言葉を投げつけた。
   「どうして私がこんなひどい目に遭わないといけないのですか。いったい
  私が何をしたというのですか。それにまた、阿闍世王子を唆してこの事件を
  引き起こした張本人の提婆達多は、よりによってあなたの従兄弟であり、そ
  ればかりか、あなたの弟子ではありませんか。その提婆達多をあなたがちゃ
  んと指導しないから、私はこんなことになってしまったのですよ。私がこん
  な目に遭ったのは、元はと言えば、お釈迦様、あなたのせいではありません
  か!」(意訳)
 釈尊は、この韋提希夫人の激しい怨みの叫びに接して、一言の言葉も発せず、ただ黙って聞いておられるのみであったと『観無量寿経』には説かれている。
 普通この場面は、韋提希夫人のそのような自己中心的な愚痴と怨みの言葉を、釈尊は慈悲のお心で黙って受け止められた。その釈尊のお姿によって、韋提希夫人は、かえって自らの愚痴の姿を照らし返され、やがて阿弥陀仏の浄土に生れることを願う者となったというふうに説明されることが多い。
 ところが小林光麿先生は、実は釈尊は、韋提希夫人のこの愚痴と恨みの言葉に接して、ご自身に思い当たる所があって、一言の言葉も発することができなかった。それが釈尊の沈黙の真相だったと言われたのである。 その思い当る所とは、次のような内容である。

……実は、王舎城の事件が起こるしばらく前のこと、提婆達多は釈尊に、「あなたはもうご老体になられたので、引退して私にこの教団をお任せください」と申し出た。それに対して釈尊は、「お前は、野心から阿闍世王子に取り入ろうとして、赤子に変身して王子に抱かれて、その唾までのみ込んだ人間ではないか。野心の為にはそんな浅ましいことまでする『痴人(愚か者)』のお前に、智慧第一と言われている舎利弗にさえ預けない教団をどうして預けられるものか!」。このように他の多くの仏弟子が居られる面前で激しく叱責された。提婆達多は、その言葉に、毒の矢が胸に刺さったように逆上して、釈尊に対する復讐を固く心に誓った。そして、阿闍世王子に、本人も知らなかった出生の秘密を暴露して、「あなたが父の頻婆沙羅王を殺し、私が釈尊を無きものにして、二人力を合わせて新しい国を造ろうではないか」と持ち掛けて、王舎城の悲劇が起ったのである。
 韋提希夫人はそのような経緯は全く知らずに釈尊に、「あなたのせいで私はこんな目に遭った」と言ったのであるが、釈尊にしてみれば、全くその通りだったのだ。
 韋提希夫人のこの言葉によって、釈尊は、今まで覚者、聖者として人々の前に立っておられた自己が、宿業の大地にたたきつけられた。自分の一言によって殺人事件まで起き、一人の女性が絶望の淵に落ちて、今目の前で泣き崩れている。その韋提希夫人の前で、「全くあなたの言う通りだ。すまなかった」と心の中で大地に頭をつけて謝られた。こうして一人の凡夫に帰られた釈尊のその心の中に、阿弥陀仏が現れて、「宿業の身を生きる汝よ、ただ南無阿弥陀仏とわが名を称えよ」という阿弥陀仏の呼び声が聞こえてきた。釈尊のこの懺悔のお姿が韋提希夫人の胸に深く響いて、韋提希夫人も始めて愚痴の自己の姿が照らされ、釈尊と同じく宿業の身に帰って、阿弥陀仏の呼びかけを聞く願生者となった……と。
 
 これが、その内容である。
 実はこのことは、曽我量深先生が若い頃論文の中に既に書いておられて(『曽我量深選集』第三巻四五頁~四七頁、第二巻二八三頁~二八五頁)、小林先生は、それに基づいてこのお話をされたのある。
 私は、三人の方に、この話の概略をお話しした。すると、そこに居られた方のお一人が、後日お便りをくださった。それが冒頭にご紹介したお便りである。
 

■お便りについての説明が長くなったが、私は、最近身の回りに色んな事が重なり、「生きていくことは大変だな」という思いに、襲われることが多々ある。それは、恐らく今日、私のみではないのではないかと思う。今世界中の人々が、思いもよらなかった新型コロナウィルスの感染拡大、更にそれに追い打ちをかけるような自然災害によって苦しんでおられる。
 そんなことを、炊事場で茶碗を洗いつつ思っていた時、この方のお便りの言葉が思い出されたのである。

  「王舎城の悲劇の原因となる発言をしてしまったお釈迦様が、お聖人様に
  とっては凡夫の一人というお話に驚かされました」

 私は、この言葉を思い起こした時、次のようなことを思った。
 人類の教主と言われているあの大聖釈尊が、殺人事件にまで発展した王舎城の悲劇の原因となる発言をしてしまわれたのだ。釈尊は、そういう宿業の身を自覚されて、韋提希の前で一言も言葉を発することができなかったのだ。その釈尊に、阿弥陀仏(法蔵菩薩)の呼び声が始めて聞こえてきたのだ。その呼び声というのは、
   「汝、だだ一心に念仏もうせ。我は、どんなことがあっても汝を捨てずに
  引き受ける。だから、宿業の身に落ちることを畏れなくてよい」
このような呼び声であったにちがいない。その呼び声を聞かれた釈尊は、
   「私は、韋提希に対して取り返しのつかぬ大罪を犯してしまった。そのよ
  うな宿業の身を抱えている凡夫の私の帰り場所がここにあったのか!法蔵菩
  薩は、すでに久遠の昔から、私に先立って、私の宿業の身に不二(決して離
  れずあたかも一つのような存在となること)となられて、私を待ち受けてて
  おられたのか!」
このように気付かれて感動された。そして、「私は、この呼び声を聞くためにこそ人間に生れてきたのだった!」と叫ばれた。親鸞聖人は、そういうふうに釈尊をいただかれたのだ。それが、「 如来所以興出世 唯説弥陀本願海」 という『正信偈』の一句の真実の心にちがいない。
 

■法然上人が、善導大師の『観経疏』によって「一心専念弥陀名号」の呼び声にふれられた時の様子を、お弟子の聖覚法印は、伝記の中で次のように書いておられる。
   「予が如き下機の行法は阿弥陀仏法蔵因位の昔かねて定め置かるるやと声
   高に唱えて感悦髄に徹り、落涙千行なりき」
 これは、法然上人の感激の描写であるが、遡れば、王舎城の悲劇の渦中において法蔵菩薩の呼び声に接しられた釈尊の感激もまた、これと同じではなかったかと思う。
 つまり、法蔵菩薩は、われらが苦しみの渦中に喘いでいる時、われらの更にその下におられて、われらの苦しみを共に苦しんでおられるのだ。

■そんなことを思っている時、私が今辛いと思っている今の私の心身の状況について、、当の私は逃げ出したいと思っているのに、法蔵菩薩は、そこを終の居り場所と選び取られて、どんなことがあっても決して逃げ出さずに、そこに腰を据えてくださっておられるのだ。それも、今に始まったことではなくて、久遠の昔からずーっとそうしておられるのだと。そういうことに気づかされたら、逃げようとしていた自分が恥ずかしくなって、「ああ、もうしわけなかった」と、始めて今の自分の心身の状況に帰ることができる。このような感覚が起ったのである。

■ 私は、ポーランドの作家シェンキェーヴィチが書いた『クォ・ヴァディス』という小説の有名な場面を思い出した。それは、次のような場面である。

  「ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、
 虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最
 後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、
 渋々ながらローマを離れることに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩
 いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエスの姿を見る。ペト
 ロは驚き、ひざまずき、尋ねた。「 クォ・ヴァディス ?(主よ、どこへ行か
 れるのですか)」 それに対して、イエスは言った。「お前が見捨てたローマの
 民の下に行くのだ」 ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷う
 ことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけら
 れて殉教したのである」

 法蔵菩薩もまた、イエスと同じく、私が見捨てて逃げようとしている私の宿業の渦中に身を投じられて、どんなことがあっても決して私を捨てずに運命を共にすると誓われたのだ。
 

■生きることの辛さを感じて逃げ出したいと思っている時、法蔵菩薩は、この私の辛さのその下に居られて、 決して逃げずに、 黙ってこの私の辛さを担い続けておられるのだなと思った。そうすると、自分が、今の心身の状況から逃げようとしていたことが申し訳ないことだったと思われてくる。それだからといって、逃げようという気持ちが無くなるという訳ではない。しかし、法蔵菩薩は、いつどんな時でも、つねに私の下におられて、泥まみれになって、黙黙と私の辛さを荷い続けておられるのだと気づかされることは、自分一人でこの辛さに喘いでいるという孤独感から、私を解放してくれるのである。
 そして、逃げようという気持ちがあるままに、私の辛さのその下におられる法蔵菩薩に頭が下がるのである。法蔵菩薩は、そして、その法蔵菩薩の声を聞かれたお釈迦さまもまた、辛い辛いと思っている私のその下におられるのだ。そのことに改めて立ち返らされて、一瞬感動が私の胸の中を刺し貫いた。

■また、このことによって、次のことに気づかされ、再び感動した。それは、善導大師が表明されたいわゆる機の深信の言葉…

  …「自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転し
   て、出離の縁有ることなしと深く信ず」
    ( わが身は現に是れ罪悪生死の凡夫であり、過去も久遠の昔から迷い
   の海を常に浮き沈みしてきて、未来もその迷いの海から出る縁が全くない
   身であるということを揺るぎなく深く信じ、そのわが身を どんなことが
   あっても決して捨てずに受けとめていく)

 …実は、この機の深信の言葉は、われらの下に居られてわれらの身を黙黙と支え続けておられる法蔵菩薩の覚悟の叫び声にほかならなかったのだ!

■そして、この法蔵菩薩の覚悟の叫び声は、われらの意識よりもはるかに深い無意識の深層、われらのいかなる分別心も決して届かないわれらの身の本能の中に、久遠の昔から連綿として流れ続けている声だったのだ。
 その出所は、われらの分別心が決して届かない深みからの声なのであるから、私どもが自分の辛さからどんなに逃げようと思っても、それにさえられることはないのである。したがって、自分の辛さから逃げ出そうと思う心を捨てる必要もまたないのである。そのような心が起るままに、その呼び声を聞かせてもらえばよいのだ。

■辛いとき、法蔵菩薩は、そしてお釈迦さまは、さらに、七高僧や親鸞聖人は、さらには、その法蔵菩薩の声を聞いてこられたわれらの無数の先輩方は、私のこの辛さの更に下に居られるのだと気づかせていただく。その時、不思議にも、私もまた、この辛さを受け止めて生きていこうという意欲をたまわるのである。
 このような感動を、その方のお葉書の言葉によって与えられたのであった。
 貴重なお葉書をくださったそのご婦人に、心から御礼を申しあげたい。

■【補足1】
 書き終わった後。安田理深先生の次のお言葉を思い起こした。
  「これまで永い間我執を自己と思って来たでしょう。だから本当の自己が分
  らなかった。本当の自己とは宿業になっておられる如来です」
                   (『信仰についての問と答』より)
 「宿業になっておられる如来」とは法蔵菩薩のことでしょう。これが、長い間われらが探し求めてきたわれらの「本当の自己」だと言われるのです。そして、その法蔵菩薩は、宿業に喘ぐわれらの更に下におられて、 「自身は現に是れ…」と、機の深信の覚悟を黙黙と生きておられるのでした。
              

■【補足2】
 「われらの更に下」とは、「われらの意識の更に下」ということではないかと思う。すなわち、われらの無意識の深層、曽我量深先生が、「宿業、本能、感応、道交」と言われた、その「本能の層において」ということであろう。その層において、久遠の昔から、あらゆる衆生に平等に流れ来たっているものが法蔵魂である。
 真宗教団連合発行の「法語カレンダー」の8月の法語は、「念仏もうすところに 立ち上がっていく力があたえられる」という言葉である。家の食堂に掛けているこの法語に、食事をしながら出遇わさせていただき、本当にそうだなと思った。
 「 念仏もうす 」とは、私がもうすのではない。われらの身の無意識の深層に流れ来たっている法蔵魂が、われらの表面の分別意識を破って、「南無阿弥陀仏」と立ち上がってくださるのだ。生老病死の身・宿業の身、これはわれらの如何とも為し難いものである。にもかかわらず、われらの分別意識は、これを受け切れずに逃げていかざるを得ない。だが、法蔵菩薩は、そういうわれらの全てを知られた上で、「いいよ、あなたがいくら逃げていっても、私が決して逃げずに、あなたの生老病死の身・宿業の身を丸ごと受け止めていくから。だから、安心してその身を尽していったらいいよ」と呼びかけてくださるのである。
 「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我身」(煩悩に眼を障えられて見ること能わずといえども、大悲は倦むことなく常にわれらの身を照らしたまう)
このように源信僧都が『往生要集』の中でおっしゃっておられるお言葉が思い起こされる。
                           (2020年7月22日)



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