• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

(ブログNo.29)煩悩に翻弄される存在

■承元の法難をめぐる親鸞聖人の記述について 1207年に法然上人の吉水教団が、朝廷、及び奈良・比叡山の旧仏教徒達たちの手によって弾圧されるという事件が起こりました。かねてから、奈良・比叡山の旧仏教徒達は、法然上人門下の専修念仏者たちの行状は、世の中の風紀を乱し国家を揺るがしかねないものであるので停止すべきだと、しきりに朝廷に訴えていました。ちょうどその最中のこと、後鳥羽上皇が熊野神社行幸で不在中に、法然門下の住蓮と安楽が東山鹿ケ谷で催した念仏集会に宮中の女官数名が秘かに参加し、この内数名がそのまま出家してしまうという出来事がありました。帰京してこのことを知った後鳥羽上皇は激怒し、かねてから旧仏教徒側が主張していた専修念仏停止の訴えを取りあげて、住蓮、安楽、及び二人の女官、合せて4名を死罪にし、更に法然上人や親鸞聖人など7名を流罪にしたのです。世に承元の法難、あるいは建永の法難と呼ばれている大事件です。

(しゅ)上臣下(じょうしんか)(ほう)(そむ)()()し、忿(いか)()(うらみ)(むす)ぶ。」

 ところが、高柳正裕師は、この記述に対して全く違う見方をされたのです。すなわちこの記述は、親鸞聖人が、後鳥羽上皇やその家臣達や旧仏教徒達の激しい怒りの振る舞いの中に、怒りの煩悩に翻弄されて苦しんでいる凡夫の姿を見て(いた)んでおられる記述だと言われたのです。『教行信証』「後序」の記述について、このような見方をされた方に接したのは始めてで、大きな驚きでした。

 これに関連する事として、私は、かつてフェイスブックに次のような文章を投稿したことがあります。

■「京都アニメ放火事件」と青葉被告の言葉

 「正使(しょうし)」あるいは「使()」とは、煩悩の異名ですが、一体いつから、どのような理由で、煩悩の異名としてこの語が使われるようになったのでしょうか?その学問的な由来は全く知らないのですが、煩悩に振り回されて泣いた人でなければ、決してこのような異名はつけないだろうと感じるのです。すなわち、私はこの言葉に触れた時、煩悩に翻弄されている人間を悲しんで、そういう人間を久遠の昔からずっと呼び続けている如来の眼差しを感じたのです。呼び続けているといっても、外からではなく、私の内から、煩悩の底から呼び続けていると感じたのです。

■高柳正裕師の談話メモより

 これと併せて思い出されるのですが、かつて高柳正裕師が、次のようなことを話されたことがあり、私の印象に強く残っています。

 私は、「京都アニメ放火事件」における青葉被告の「人生をもてあそぶ『闇の人物』の存在に苦しめられていた」という言葉に触れた時、高柳師のこの談話を思い出したのです。

 この談話の中で高柳師が、嶺藤亮師が自分を憎んでいる人に手を合わせられたと述べておられることについては、少し説明が必要でしょう。

 また、親鸞聖人が、吉水教団を弾圧した人達を礼拝されたと述べられた事については、先に書いた「承元の法難に関する親鸞聖人の記述」のような親鸞聖人の態度を念頭において言っておられるのです。

 私は、このような嶺藤師や高柳師の言葉を思い出す時、あらゆる人を「そのままに見る」如来のまなこ、法蔵菩薩のまなこを感じずにはおられません。

                           (2025年12月2日、記す)

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