―法語「お待ちしておりました」について―
経緯
■私は、自坊心光寺の2025年5月の掲示板法語として、師の大石法夫先生の言葉を掲示いたしました。そして、5月の心光寺の寺報に、この言葉についての私なりの説明と受け止めを書かせていただき、それを5月25日にFacebookに投稿いたしました。
これがその法語です。
「ただ 私を待っておってくださった仏様が 信じられたということだけが 私の生かされていく道だった」(大石法夫先生)
すると、この寺報を読まれたジェシー釋萌海さんから、「この法語の言葉について教えてください」というメッセージをいただきました。このお尋ねを受けて書かせていただいたのが次の文章です。
ジェシーさんのお尋ねに対する返信
■この法語に書かれている仏様とは、阿弥陀仏が、光の座から闇に苦しんでいる私の所まで降りてきてくださって、闇に苦しむ私と身を一つにされて、一緒に歩んでくださる、そういう法蔵菩薩のことだと私はいただいています。
寺報にも書いてありますように、大石先生は25歳の時、結婚も就職も諦める程の覚悟をして藤解(とうげ)先生の門下に入られたのですが、なかなか光に遇うことができませんでした。大石先生が仏門に入られたのは、回天の搭乗員となって死に直面し、何のために生まれてきたのかという問いが起こったことが一番の原因でしたが、それ以外にも、先生が旧制中学生の時、お母さんが、「法夫さん。あんたはお坊さんにならんね。」「わたしはね。あんたがお坊さんになって、わたしに法をきかせてくれて、わたしを救うてくれたらよいがと思うんじゃがね」と言われたことも大きなご縁になったと思います。お母さんも、ご主人に殴られたりすることがあって、どうにもならない宿業の苦しみを感じておられたようです。お母さんも救いを求めておられたのですね。
大石先生は、自分自身の生死の問題だけでなく、そういうお母さんの、自分に託する願いの大きさもひしひしと感じておられたのですね。それだけに、なかなかご信心を得られない苦しみと焦りの大きさは想像に余りあるものがあります。
そういう中、郷里からお母さんが来られることになっていた法座の日の朝、とうとう先生は逃げるように寺を出ていかれます。先生四十三歳の時です。なぜそんなことをしなければならなかったのか。それは、法座では、毎回藤解先生の前講として大石先生がお話しをすることになっていました。お話しの後、後藤解先生の厳しいご指摘があります。お母さんの目の前でその言葉を聞かねばなりません。それが大石先生には辛かったのです。そのときのことは『生まれてよかったですか』の191頁から詳しく書かれています。
先生もお母さんも、その頃どんなに辛かったことかと思います。そのような辛い中をくぐって、先生が光に出遇われたのは、何と入門から39年近くも経過した64歳の時でした。
ここで、誤解があるといけませんので一言付け加えておきますと、信心を得るのには誰もこんなに年数が必要だということではありません。信心は知識だけの理解の世界ではないので、本当の頷きが得られるのには、学校のカリキュラムのようにはいかず、それぞれの因縁を通って時機純熟を経る必要があるということです。大石先生にとっては、その39年間の苦労の因縁がどうしても必要だったということです。それは人によってみな違います。
ともかく、闇の中でもがき続けていた大石先生のその時の心境は、何とかしてその闇の苦しさから抜け出したいということだったと思います。その切実な思いが39年間続いたのです。ところが、嫌で抜け出したくてしかたがなかったその自分を、じーっと待ち続けてくださっておられた方がおられたわけです。自分は嫌で嫌でしかたがなくて嫌悪するしかないのに、その自分をずうーっと手を合わせて持ち続けておられた方がおられたのです。それが、法語に掲げた法蔵菩薩の呼び声だったのです。
「私は、あなたのその苦労を見ると何も言葉がありません。手を合わさずにはおられません。私はそのあなたのご苦労を本当に尊いと思います。私はあなたのそのご苦労を傍観者のように外から眺めておることはとてもできません。もうあなたのそのご苦労の中に身を投じて、そのご苦労と私の身を一つにして、一身同体となって、あなたと一緒に生きていきます。永遠にどこまでも。」
――なかなか言葉にはできませんが、そのような「魂」の呼び声が、大石先生の「魂」の底に聞こえてきたのでしょう。
この呼び声が聞こえてきたのは今ですが、気が付いてみると、この呼び声は今に始まったことではなく、私の生れるずうーっと前、久遠の過去から、私を呼び続けてくださっていた呼び声だったのです。
『無量寿経』の法蔵菩薩の物語は、群萌と呼ばれるインドの苦悩の民衆が、苦悩の只中で、そのような「魂」の呼び声を聞き取りながら生き続けてきた、そういう民衆の苦悩の歴史の中から生まれた物語だったのでしょう。この呼び声は、私どもが逃げ出したいと思っている苦悩を、決して逃げずに待っていてくださって、その苦悩と身を一つにして生きてくださる呼び声なのです。これが南無阿弥陀仏の念仏の呼び声の中身なのです。
大石先生にとって、39年間何とか抜け出したくて仕方がなかった闇の苦しみを、あにはからんや、ずうーっと待っていてくださった声があったという驚きと喜び、これは本当に大きかったと思います。これが、大石先生が光に出遇われた時の感動の中身であったと思います。
これ以後、大石先生の求める方向性が、それまでと百八十度逆転してきたのだと思います。すなわち、それまでは抜け出したくて嫌悪していた自己の闇を、それ以後は、法蔵菩薩のお心をいただいて、むしろ逆に手を合わせるようにして尋ねていくという方向です。そして、その方向は、目の前の人やこれまで出会ってきた人びとと新しく出会い直していく方向でもあります。こうして書かれたのが、67歳から87歳で亡くなられる前まで20年間書き続けられた百通のご書信であったと思います。
なお、掲示板に書かせていただいたこの法語の出典は、お送りした本『生まれてよかったですか』の243頁の終りの方にあります。
この書信に出てくるUさんという方は、大石先生の書信の中に度々登場してきます。それだけ、先生にとってUさんとの出遇いは大きかったのです。なぜかというと、Uさんは、恋人に裏切られて、自分に恐ろしい心が起こり、そんな心を持ったまま教壇に立つことができなくなって、教師を辞め、死にたい心を抱えて九州から身も知らぬ東京に出て行かれたのです。その追い詰められたUさんの心境は、長い間信心を得られずに苦しんで来られた大石先生にとっては、自分自身そのものであったと思います。決して他人事ではなかったでしょう。それでUさんに出遇われた最初の時、大石先生はUさんに向って手を合わせて、「お待ちしていました」と言われたのです。それを先生は、私がUさんに向ってそう言ったのではない。かつて先生が闇の中で喘いでいる時に、法蔵菩薩がそのように私を呼んで、手を合わせて迎えてくださった。その法蔵菩薩の呼び声を、Uさんに会って再び聞かせてもらいながら、Uさんにそう言ったのだと書いておられます。つまり、先生にとってUさんは、かつて先生が苦しみの只中で聞かれた法蔵菩薩の呼び声を、再びありありと聞かせて下さる尊い存在だったのです。
Uさんにとっても、大石先生がこうして「お待ちしていました」と、手を合わせて迎えてくださったことは決定的でした。Uさんは、その時のことを、後に大石先生への手紙の中でこう書いておられます。
「大石先生、あの頃私は自分を責めるしかなかったです。泣いていました。でも先生は言って下さったです。人は尊いのだと。先生は私のことを尊いと言って下さったです。私はあの三月のことをよう忘れません。私はまだ何もわからないままです。でも、私は自分が恐くてたまらなかったころ、私を、許して下さったこの広島でのことを一生わすれません。」「私は、心を入れかえて立派な人間にはなれなかったです。でも私は私を粗末にするような人生を、もう送りたくないです。私の大切な妹にも、そうさせたいです。そう教えてあげたいです。先生、人間が尊いということを、どうか教えてください。一回は捨てた人生をもう一度与えてくださった先生。」(『生まれてよかったですか』161~162頁)
Uさんは、大石先生を通して、法蔵菩薩の呼び声に直接出遇われたのです。その法蔵菩薩は、自分ではどうしても受け止められずに嫌悪していたUさんの恐ろしい心を、「お待ちしていました」と、手を合わせて受け止めてくださったのです。Uさんは、「私はまだ何もわからないままです。でも、私は自分が恐くてたまらなかったころ、私を、許して下さったこの広島でのことを一生わすれません。」と書いておられます。Uさんは、教義の理解とか、そんなこと以前の「本願招喚の勅命」に直接出遇われたのです。
大石先生もまた、64歳の時Kさんとの因縁を通して、この「本願招喚の勅命」に直接出遇われたのです。そして、Uさんとの出遇いの中で、「本願招喚の勅命」との直接の出遇いを、今また新たにされたのです。
私にとって、Uさんのこの手紙は、本願の救いの本質がどのようなものであるかということを、どんな教義書にも増して生き生きと伝えてくださいます。
「ただ 私を待っておってくださった仏様が 信じられたということだけが 私の生かされていく道だった」
私が毎日の生活の中で感じるどんな時でも、私がいつどんな身心状況の中にいる時でも、私はこの呼び声を心の中に感じさせてもらう時、たとえその状況が私にとって不本意に感じられるような状況であっても、法蔵菩薩はそこにおられて、じっとそこで手をついて待っておってくださって、その私を受け止めて、前を向いて一緒に生きてくださいます。私が病気になった時にも一緒に病気になってくださり、死んでいく時も一緒に死んでいってくださいます。いつでも、どこでも、どんなときでも、今私のいる所に、法蔵菩薩は一緒にいてくださいます。そういうことを、この大石先生の法語のお言葉によって感じさせていただきます。この呼び声は、私にとってお念仏の呼び声と一つになって聞こえてくる法蔵菩薩の呼び声なのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
以上、充分には書けませんが、この法語に書かせていただいた呼び声は、大石先生の百通の書信の底に流れている魂の呼び声ですから、先生の書信を読みながら、ジェシーさんが生活の中で聞き取っていただけたらと思います。
■このような文章を書いてジェシーさんに送らせていただきました。
ジェシーさんは、真宗を学び始めた当初から、法蔵菩薩が気になるテーマだったそうです。自分の外にいる阿弥陀仏だけでは違和感があったと言われます。学んでいた真宗学院の先生方に法蔵菩薩について問いかけられたそうですが、あまり答えてくださらなかったそうです。
そういう中、仏教書店の法蔵館に行かれて、色々本を探し求められたそうです。ジェシーさんは次のように書いておられます。
「今まで何時間法蔵館の中、本を探しながら過ごしたのか・・。しかし、英語で書かれている本は心に響いても、日本語で書かれている本は、語学力のせいか、あまり心に響きませんでした・・。間違った宗派を選んだのか、とまで悩んでいる時ありました。」
そういう中で、
「曽我先生の『法蔵菩薩出現の意義』その英訳に出逢った時、私と同じ悩みのある人がいたことを知り、大喜びでした。しかし、日本語ではまだ難しいです。それと、今はもうこの世にいない事も、寂しく感じました。」
ジェシーさんはこう書かれています。
「『外から』ではなく、『内から』『底から』『根元から』ということが私には頷ける表現です。」
「内から法蔵菩薩の呼びかけが聞こえてきて、深く感動しました。私は真宗を選んだのは間違いではなかった。この道を歩むべきだった。歩むべき道だった。歩むべき方向が見えてきた。」
このように、法蔵菩薩の教えに共感を抱かれた喜びの内容を書いてくださいました。
そして今回、ジェシーさんから大石先生の言葉、「ただ 私を待っておってくださった仏様が 信じられたということだけが 私の生かされていく道だった」の内容についてのお尋ねを受け、前掲のような文章を書かせていただいた次第です。
異国の地スイスから日本にやって来られて、真宗を学び始められ、自分の外にいる阿弥陀仏だけでは何かしっくりしないものを感じられて、曽我量深先生の「如来我となりて、我を救いたまう」という教えに深く共感され、法蔵菩薩の教えをもっと聞いていきたいと思うようになられわけです。私は、このようなジェシーさんの求道の歩みの上に、法蔵菩薩が生きて働いていることを感じずにはおられません。
ジェシーさんは、曽我先生の「如来我となりて、我を救いたまう」という言葉を聞かれて、「まさに、今 いのちがあなたを生きている、ですね」と言われました。私も、ジェシーさんの歩みの上に、「今 法蔵菩薩のいのちがあなたを生きている」と感じずにはおれません。
南無阿弥陀仏
(2025年6月1日記)