• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

ブログ(折々の記)

ブログNO.13「そんでええがや」の声が聞こえるとき

■清沢満之師は、絶筆『わが信念』の中で、「如来は私の一切の行為について責任を負うて下さる」と言っておられます。そして、その如来は、外におられるのではなく、「私の信念の本体である」と言っておられます。つまり如来は、われらの ...

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ブログNo12.「我(が)の迷いは果して消せるのでしょうか?」

【大石法夫師書信輪読会記録No.9「長生不死の神方」よりの抜粋】(※ファイルの全文はブログの最後にリンクを貼付しています) ■(16頁)我(が)の迷いを軽くみている。その我(が)は久遠劫の歴史をもった底知れないものです。 ...

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No9.なぜ本願文に「唯除の文」があるのか

■本願文にどうして唯除の文があるのか?  『無量寿経』の第十八願文には、五逆罪と誹謗正法罪を犯した者は救いから除くという、いわゆる唯除の文が置かれています。古来多くの先達がこのことに悩まされてきましたが、結論から言うと、 ...

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No8 – 法蔵菩薩の眼差しによって生きる力を回復する

■【始めに】  私は、前回心光寺のホームページに投稿したブログNo7の最後に、次のように書きました。    「自分自身の自我の闇に行き詰って、生きる意欲さえ見失っていた者が、法蔵菩薩のこの呼び声が聞こえてき   たことに ...

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No7-「すなわちわれらなり」の呼び声

■親鸞聖人が、『尊号真像銘文そんごうしんぞうめいもん』の中で「すなわちわれらなり」と述べておられる言葉があります。短い言葉ですが、非常に重要な言葉で、私は、この言葉の中に、親鸞聖人が法然上人から受け取られた念仏の救いの内 ...

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No6-他人によって傷つけられることのない自己

―清沢満之先生の精神主義にふれ得たことを感謝す― 【(このブログを書くに至った経緯)・・・私は、昭和44年4月に大谷大学に入学し、伝道部に入部した。しかし、入学したその秋、尊敬していた先輩たち三名(新原忠男、夷藤保、浦田 ...

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No5-法蔵菩薩はわれらの更に下におられる

■しばらく前のことになるが、ある方から葉書のお便りをいただいた。   「王舎城の悲劇の原因となる発言をしてしまったお釈迦様が、お聖人様にと  っては凡夫の一人というお話に驚かされました」このような文面だった。この経緯につ ...

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No4-一人ひとりに法蔵菩薩がついておられる

奥さんを亡くされたOさんの悲しみ ■2020年1月2日。この日から、一軒々々正月のお参りを始める。昨年の盆過ぎに奥さんを亡くされたOさん宅にもお参りした。奥さんのN子さんは、66歳だった。亡くなられるまでの二十数年間とい ...

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No3-この人生は私が欲したものだ

生きることはつらいな ■今日は傾聴電話の当番日。夕刻、大分市へ向けて車で出発。国道210号線に出た辺りで思った。私は四か月後に古稀を迎える。この歳になって、今さらのように、生きることはつらいなと感じることが多い。傾聴の電 ...

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No2-「どのように生きていったらよいのでしょうか」

  「どのように生きていったらよいのでしょうか」  ◆師の大石法夫先生は、昭和18年12月、京都大学を繰り上げ卒業となり、海軍に入隊された。入隊後、水中特攻兵器「回天」の搭乗員となり、山口県の光基地で、出撃に備えての訓練 ...

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