• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

(ブログNo18)永遠の魂の流浪者、求道者、旅人

■私はだいぶ前にあるご婦人から、次のようなお電話をいただいた。

「今年、亡き夫と義父(夫の父親)の法事を迎えることになっています。しかし、生前二人が私に加えてきた酷い仕打ちを思うと、どうしても二人を許すことが出来ません。二人に対する怨みが消えません。でもそういう自分が苦しいのです。また周囲の反対を押し切ってその夫と結婚したのは私です。ですから今の苦しみの責任は外の人にはなく、自分にあるのです。そのことはよくわかっています。でもそのことをやはり受け取れない自分がいます。」と話された。
 何という、持っていきようのない苦しみであろうか!

■私は、だいぶ前にこの電話をいただいていたが、問題の重さのために何と応答したらよいかわからず、頭のどこかにこの問題を抱えつつ、返事を出すことが出来ずに推移していた。

■ところが最近のことだが、幼い時に性暴力を受けて、成人後その後遺症でどうしても社会に適応できず、通常の対人関係に支障をきたして、四十数歳になった今もなお解決できずに苦しんでおられるある方からメールをいただいた。
 幼い時に、人を信頼するという人間にとって最も大切な基盤を、虐待という自分には不可抗力の仕打ちによって失ったのである。そのことが、その後人間として社会に適応して生きていくことを、どれ程困難極まりないものにしていくか。そのことを、この方のメールによって私はまざまざと教えられたのである。

■しかし、その人は、そういうふうにもがきながらも、自分は人間としての大事な核に致命的な傷を負ったが、自分の中の深い所には、虐待によってもなお決して侵されなかった場所があるはずだと書いておられた。私はそれを読んで感動した。その人のもがきは、それを探し求めての懸命のもがきだったのだ。

■その方のメールを読みながら、私は、穂積純さんという方との共通点を感じた。穂積純さんは、七歳の時から小学校五年生まで、七歳年上の実兄から性暴力を受け、成人してから、自分がどれ程深刻な後遺症を精神に負っているかということを知り、それからの回復を求めて血のにじむような苦闘を続けてこられた方である。その苦闘の歩みが、『甦る魂』『解き放たれる魂』『拡がりゆく魂』という三冊の本に綴られている。いずれも「魂」の一語が付されていることが私の目を惹く。
 穂積さんは、後にアメリカの臨床心理士と文通するようになるが、その臨床心理士が、「アメリカでは、あなたのように性暴力を受けた人のことをサバイバーと呼んでいます」と書いてくれたそうだ。サバイバーというのは、生存者、生き抜いてきた人という意味である。それは、性暴力の被害者に対する深い尊敬を込めた称号である。本当は潰れてもおかしくないのに、そういう中をよくぞ生き抜いてこられたと、尊敬を込めてサバイバーと呼んでいるのだと。そして、手紙の最後には、「あなたはサバイバー。ほかの誰にも、それ以外のことを言わせてはならないのよ」と結ばれていたそうだ。穂積さんは、この言葉にものすごく反応され、もう涙が止めどなく出てきたと書いておられる。
 穂積さんは、『甦る魂』の冒頭に、自分と同じように幼い時に虐待を受けて苦しんでいる人たちを、尊敬を込めて「サバイバー」と呼びかけ、「すべてのサバイバーの方、子ども時代に虐待を受けた人、家族として機能しない家に育った人、大きすぎる苦しみを一人で耐えた子ども時代を持つ人へ、この本を捧げます」と書いておられる。
 それに続いて、次のような「宣言」を書いておられる。
   「私達 幼くして辱めを受けた者は 恥ずべき者でも 汚れた者でも 罪ある者でもなく また 哀れみや同情をそそがれるだけの存在でもなく 人として成長し生きるための核を奪われながら なお 根を出し 芽を吹き 導く星もない孤独地獄の中を 生きのびた 英雄的な魂 それが 私達です。」

 つまり、幼い時に虐待によって自分の魂がどんなに侵されても、なおサバイバーである自分たちの中には、決して侵されない場所があるはずだ。それを取り戻す為の闘いが、自分たちの今までの歩みだと呼びかけておられるのである。

■このような穂積純さんの言葉や、先ほどの方のメールを読んで、私は、電話をくださったご婦人もまた、虐待を受けた子どもと本質的な部分では同じではなかろうかと感じたのである。虐待を受けた子どもが、虐待によってもなお傷つかない魂が自分の中にはあるはずだと信じて、その失った魂を回復しようとして懸命にもがかいておられる。それを回復しない限り、自分に本当の意味での救いはないと感じておられる。それと同じように、その電話のご婦人もまた、夫のDVによってもなお傷つかない魂があることを信じて、それを回復しようとして苦しんでおられるのではなかろうか。それを回復しない限り、そのご婦人に本当の意味での苦しみからの解放はもたらされない。実はそれを回復するために人間に生まれて来られたのではなかろうか。それが、そのご婦人の苦しみの真実の姿なのではなかろうか。そう感じたのである。
 それは、そのご婦人ばかりではなく、遠い過去まで遡れば、我ら全てもまた、誰しも自分の魂を傷つけられた被害者であり、かつ自らの手で自らの魂を傷つけた加害者でもあるのではなかろうか。他に責任を転嫁し得ないそういう鬱屈した怨みをかかえて人間に生まれて来た者、それが我らなのではなかろうか。そのように感じたのである。

■そういうふうに、生まれながらの怨みを抱えて生まれてきた人のことを、仏典では『未生怨(みしょうおん)』と呼んでいる。親鸞聖人は、『教行信証』「信巻」において、『涅槃経』に出てくる阿闍世(あじゃせ)の物語を長々と引文しておられるが、その中で、提婆達多(だいばだった)が阿闍世王子に、「国民はあなたのことを陰では『未生怨』と嘲りの気持ちを込めて呼んでいます」と申しあげる場面が出てくる。未生怨とは、生まれる前から持っている怨みという意味である。
 『涅槃経』によれば、これには次のような経緯があつたのである。マガダ国の国王頻婆娑羅(びんばしゃら)は、長いこと世継ぎとなる子どもに恵まれなかった。王は世継ぎを切望する余り、ある仙人が死ねば王子として生まれ変わるという占い師の言葉を信じて、家臣に命じてその仙人を殺害させた。仙人が殺害されると、占い通りに王妃の韋提希(いだいけ)は間もなく懐妊し、男の子を生んだ。王はその子を阿闍世と名づけた。しかしその経緯を知る国民は、阿闍世のことを密かに、「未生怨」、すなわち出生以前からの怨みを抱く者と呼んだのである。
 

■考えてみれば、我々人間は、実は誰も未生怨ではなかろうか。つまり、自分が生れたことについて、自分が望んだわけではないのに親が生んだという怨みを抱えている。その元には、自分自身の存在に対する怨みがある。自分自身の存在を全面的に受け止めることができていない。生まれない方がよかったのではないかという思いを持っている。そういう根本的な問題を抱えている。それが、無意識下の深い所に、誰の中にもあるのではなかろうか。
 そして、誰にも持って行きようのない怨みを抱えて苦しんでおられる先ほどの電話の婦人と、幼い時に虐待によって自分の「いと尊き本体」「魂」を汚されつつ、なおその魂の回復を求めて苦しんでおられるメールをくださった方や穂積純さんの苦悶とが、「未生怨」の存在というかたちで、私には重なって聞こえてきたのである。

■でも、このご婦人や虐待によって苦しんでおられる方々ばかりではない。「未生怨」の阿闍世、それは私自身でもある。また、誰しもそうでない人はいないのではなかろうか。親鸞聖人は、『涅槃経』に出てくる阿闍世の苦悩にそのような普遍性を見、その阿闍世の救いを自らに重ねて追及されたのであろう。

■こうして、今私は、次のように憶うのである。

 この宇宙は約百三十八憶年前に生まれたと言われているが、時間を超えた永遠のスパンで我らの存在をみれば、我らは、この宇宙発生以前のはるか昔から、「いと尊き本体」「魂」の存在としてあったのではなかろうか。

 ところが、我らは、どういう訳か知らないが、久遠の過去世において、自分自身のこの「いと尊き本体」「魂」を、自らの自我によって傷つけ見失ってきたのではなかろうか。そして、それを見失ったまま、果てしない時間の中を、流転しさ迷って来たのではなかろうか。そして、その失った魂を回復すべく、この度この世に生まれて来たのではなかろうか。そういう魂の流浪者、求道者、旅人、それが我ら一人ひとりなのではなかろうか。そう憶ったのである。
 従って、我らは、誰しも、この「いと尊き本体」「魂」を回復しない限り、どんなに富や社会的名声を得ても、決して精神的に満たされることはないようになっている。そういう先験的内因をこの身に抱えてこの世に生まれてきた。それが我らなのではなかろうか。 

■では、その我らの「いと尊き本体」「魂」とは一体何であろうか。他の諸々のことは、本当は知らなくてもよいものばかりであるが、このことだけは、どうしても我らの知らなければならない根本問題なのである。それはいったい何か。

私は、それは、善導大師が『二河譬』において表現されているところの本願招喚の勅命、すなわち「汝、一心に正念にして直ちに来たれ、我能(よ)く汝を護らん。衆(すべ)て水火の難に堕せる(堕しておる)ことを畏れざれ」(真宗大谷派『真宗聖典』初版本220頁)という我に対する法蔵菩薩の呼び声、これではないかと思う。我らの存在そのものに対する法蔵菩薩のこの「絶対信」の呼び声、これこそが我らの「いと尊き本体」「魂」であるに違いない。そういうふうに憶うに至ったのである。

■つまり、我らは生まれながらにして、遠い昔に自分自身の自我によって、自らの魂を傷つけ生まれてきた虐待児であり、生まれながらにして怨みを抱えた「未生怨」の者である。虐待の被害者でもあり、加害者でもある。こういう根本的なジレンマを抱えて人間に生まれて来たのが我らである。
 我らは生まれて以後、往々にしてこの虐待の怨みを親や周りの人や環境に向けざるを得ず、その故に様々な問題や事件を引き起こすこともある。だが、そうやって矛先を外に向けておるばかりでは、永久に救われることがないのである。
 なぜなら、我らの本体は、先にも述べたように善導大師が『二河譬』において表現してくださっておるところの「汝、一心に正念にして直ちに来たれ、我能(よ)く汝を護らん。衆(すべ)て水火の難に堕せることを畏れざれ」―この呼び声なのであり、この本体を傷つけ葬ったのは、他ではなく自分自身なのであるから。だから、我らは自らの本体であるところのこの呼び声を再び聞き、失った本体を回復することによってしか、真に満たされることはないのである。この法蔵菩薩の呼び声こそが、我らの本体、我らが久遠の過去世に自らの手によって葬った我らの「いと尊き本体」「魂」なのである。

■それで善導大師は、自分が人の身を受けた因を遡れば、両親は因ではなく縁であった。「自の業識(ごっしき)」こそが自分の出生の根本因であったと、深い感動をもって述べられたのであろう。「自の業識」という言葉は、あまりにも深くて謎のような言葉だが、以前から私には有無を言わさない説得力をもって響いてくる言葉であった。

 そして今回、メールをくださった方や、穂積純さんの文章や、電話をくださったご婦人の苦汁に満ちた言葉を聞くことを通して、我らは誰も、遠い過去世に、自分の自我によって自分自身の尊い魂を侵された虐待児でないものはなく、その侵された魂を取り戻さずにはおれない深い欲求を、先験的にこの身に植え込まれて人間に生まれてきたのに違いない。その欲求のことを善導大師は「自の業識」と言い表してくださったのではないであろうか。そう思うようになったのである。我らは、この「自の業識」を根本因として、人間に生まれてきたのである。つまり、我らがこの世に生まれたのは、親のせいではなく、自分がどうしても生まれたいと欲したからなのだ。そう善導大師は言っておられるのである。

 今回私は、ご婦人からの電話やある方からメールをいただいたことのよって、そのことを心の底から頷くことができたのである。

■ある先生が、人間の真の満足は、「したいこと」(願い)、「できること」(能力)、「すべきこと」(使命)の三つが一致するところにあると言われていた。この三つの一致は、我らが久遠の昔に失った我らの「いと尊き本体」「魂」、すなわち「汝、一心に正念にして直ちに来たれ、我能(よ)く汝を護らん。衆(すべ)て水火の難に堕せることを畏れざれ」という我に対する法蔵菩薩の呼び声を聞くこと、そのことだと私は憶うのである。
 このことは、誰にもできることであり、誰もが本当は願っていることであり、誰もがそれを果たすために人間に生まれてきた我らの出世の一大事なのである。蓮如上人の言われる「後生の一大事」なのである。

■宗正元先生は、弥陀の本願(法蔵菩薩)は、群萌の大地から涌出し逆流してきた群萌の魂だと言われた。私は、電話をくださったご婦人や、メールをくださった方や、穂積純さんの苦汁に満ちた生き様や言葉の中に、苦悩の身から逆流してくる法蔵菩薩の招喚の呼び声を聞かせていただく憶いを持つのである。

■最後に、穂積純さんの文章と師の大石法夫先生の文章を引用して終りたい。

 まず穂積純さんの文章。穂積純さんは『甦る魂』の中で次のように書いておられる。
 「このごろ私はマリリンーモンローを思う。彼女は虐待児だった。私生児として生まれ、幼い時から里子としていろんな家をたらい回しになり、愛情に飢えて育った。里親の知人に犯されてもいる。(中略)彼女には映画スターの幸運があった。名声も富もあった。世界中が彼女を愛した。それでもマリリンは決して本当には満たされなかった。(中略)いつも何かを搜していたようだといわれる。(中略)晩年のマリリンはうつに落ち込むことが多く、不安を生きていたときく。これほどの成功を手にしながら、彼女に安らぎはなかった。(中略)そんなことないよ、あれだけのことやったじゃないか、世界はまだ君を愛しているよと、いくら他の人が言っても無駄だ。これが虐待児のソフトなのだから。心の傷そのものが回復しない限り、このテープはどんなに成功したようにみえても、心の奥で回り続けている。」(高文研『甦る魂』219頁~220頁)

 このように穂積純さんは書いておられる。私はこの文章を読むとき、転がるように生きてきた今までの私の人生や、今まで私が出遇つた全ての方々―どの方もそれぞれの人生を転がるように懸命に生きておられるのである―の本質が、この言葉によって見事に言い当てられているように憶うのである。

 次に大石法夫先生の文章。大石法夫先生は、晩年、次のように書いておられる。

「『私は なにゆえ 生まれきた。 生まれて 私は 何をする。 ただ食い 動き 眠るなら 鳥も獣も 変わりない』
 (註・この歌は、大石先生が小学校六年生の時、「修養団」と呼ばれた団体の講師が、国威発揚のために全国の学校を回って講演する中で歌っていたものだという。大石先生は、法話の最中、六十数年前に聞いて忘れていたこの歌の歌詞が突然よみがえったと言われた。)
皆さんの前で歌っても、これは私自身に突きつけられた問題なのです。その私が今『何のために生まれたのか』と問われたら、どう答えるか。そこを心光寺でもお話しさせていただきました。『私は、この世に、南無阿弥陀仏と称えさせていただくために生まれたのです』皆さんにそう申し上げました。世の識者や学者の信念というものとは違います。研究の成果の発表などでもありません。『南無阿弥陀仏と称えさせていただく』中に、人生万般の解決があることを語らせていただき、皆さんとお別れしました。」(樹心社刊『念仏は生きている』138頁~189頁)
 

 先に述べたように、我らの本体は、善導大師が『二河譬』において表現してくださっておるところの「汝、一心に正念にして直ちに来たれ、我能(よ)く汝を護らん。衆(すべ)て水火の難に堕せることを畏れざれ」この法蔵菩薩の呼び声である。我らは、遠い過去世に自らの手で葬ったこの自身の「いと尊き本体」「魂」をどうしても回復せずにはおられない存在なのである。そして、その呼び声は、具体的には南無阿弥陀仏の名号となって私のところに届いている。だから、大石先生が言われる通り、「私は、この世に、南無阿弥陀仏と称えさせていただくために生まれた」のである。

 南無阿弥陀仏と称えるのは、私が称えていても、称える主体は私ではない。私の身の底に流れている群萌の魂、法蔵菩薩が主体となって南無阿弥陀仏と称えるのである。

 南無阿弥陀仏と称えることこそが、私の出生の根本因、「自の業識」であったのである。

                              (二〇二五年二月十二日記)

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