以下の文章は、自分の良心の脅迫に追い詰められて、生きていけなくなった小笠原亮一師が、『ルカによる福音書』に記されているイエスの眼差しに出遇って、生きる意欲を取り戻していった際の内面の記録です。そのイエスの眼差しというのは、ペトロは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しています」と誓いながら、実際にイエスが捕えられて張り付けの刑を受けそうになると、自分も捕らえられて張り付けになることを怖れて、自分はイエスの仲間ではないと三度まで強く言い張るのです。そして、そういうふうに裏切ってしまった自分を責めて激しく泣くのです。そのペトロを、何も言わずに黙って見つめるイエスの眼差しです。
小笠原亮一師は、『ルカによる福音書』を通してイエスのこの眼差しに触れたことが決定的だったのです。私にとっても、このイエスの眼差しは、宗教の垣根を越えて、南無阿弥陀仏の招喚の声と重なって聞こえてくるのです。その小笠原師の文章を、少し長いけれども引用させていただきます。
(日本基督教団出版局発行、小笠原亮一著『共に在ること』12頁16頁より)
「―挫折―
私は三回目に死にかかった時にキリストに出会いました。
私は戦争を通して、教育を信用することができなくなりました。また、大人たちの言うことも信用できなくなりました。私は、自分の力で、人生にとって何が善いことなのか、何が正しいことなのかはっきり見定めて、それに従って生きたいと思うようになりました。高校時代、そのようなことを勉強するのが哲学だと知り、大学では哲学を勉強しようと思いました。いろいろな経過がありましたが、結局、私はカント哲学を学びました。私は、カントを通して、自分の良心に従って生きることがどんなに尊いことか、それが人間にとって唯一最高の価値であることを学びました。しかし、その哲学を学べば学ぶほど、良心に従って生きていくことのできない自分を見出して行きました。良心に従って生きるということは大雑把に考えればなんとかやれそうです、しかし今まで意識にのぼらなかったような日常生活のこまごましたことを点検しながら、細部にわたるまで完璧に生きることは難しいことです。私はしだいに完全主義にとりつかれ、小さななんでもないようなことも分析し点検して行くようになりました。良心の眼が、おきている時も寝ている時も見張っていて、反省と点検を私に強いるようになりました。私は良心に脅迫されるようになって行きました。道徳主義や完全主義のもたらすノイローゼ状態におちこんで行ったのです。(中略)
私は死にたいと思うようになりました。煩わしい良心の呵責、脅迫から逃れて安息したい、死こそが究極の安らぎの場所として魅惑的に見えはじめてきたのです。(中略)生きたいと思うのも人間の気持ちであれば、また、死にたいと思うのも人間の気持ちであるという、私の矛盾した姿があったのです。
私は自殺未遂ということで精神科の病院に入院することになりました。郷里から父がやってきて薄暗い面会室で私と会いました。その時父は、「お前が死んだら、私たち夫婦は生きていることができない」と私に言いました。私の父の父は自殺しておりますし、もし私が自殺すれば、二人の自殺者にはさまれた父は生きて行くことができないだろう、それはそうだろう、と私は思いました。しかし父のそのような言葉に対しても、私の魂はすっかり疲れきって何の反応も起こりませんでした。そうなったとしてもしかたがない、自分はもうどうすることもできない、とつぶやくだけでした。(中略)私の魂は生ける屍のようになっていたのです。
―出会い―
私がキリストに出会ったのはその頃でした。福音書を読んだ時、キリストは私に次のように語りかけてくださいました。『(中略)お前は天の父にとってかけがえのないものなんだよ。私がお前のかわりに十字架にかかったんだから、お前は生きるんだよ。(中略)』。私は、私が自分を見捨てたような時になっても私を見捨てない方を真近かに感じました。私は、私が自分を愛する以上に私を愛していてくださる方がいるということを知りました。私はその時から、私の眼で私を見ることが嫌になってしまいました。また、他の人の眼、世間の眼も嫌になってしまいました。私はキリストの眼で見つめられたいと思いました。私は、自分の声や世間の声よりも、キリストの声を聞きたいと思いました。私は、その頃、良心に脅迫されていましたから、自分の眼や世間の眼を感ずると死にたくなるのでした。キリストの眼で見つめられ、キリストの声を聞く時、私は生きたいと思いました。私はキリストによって死ぬことをやめたのです。
誰が私を愛してくれなくても、キリストが私を愛してくださる。自分の眼でも、世間の眼でも私は少しも尊い人間ではないけれども、キリストがかけがえのないものとして私を愛してくださる。私はそれ以後、自分の眼や世間の眼ではなくて、神様の眼において尊いものを考えるようになりました。自分の眼や世間の眼にはどんなにみじめに見えようとも、神様の眼において尊いものがあるということを知ったのです。」
以上
南無阿弥陀仏
私は、この手記を読みつつ、こんなことを思いました。以下、それを箇条書きにして書いてみました。
・私の存在を否定してくる周りの人に対してかろうじて私どもが内心につぶやくことのできる最後の言葉は、「でも、あなたが私を救ってくれるわけではない」これです。
・その「あなた」には、第一に私の声が含まれます。なぜなら、私の声は、往々にして自分自身に対して厳しく、自分自身を追い詰めてしまうからです。
・次に、世間の声、それから目の前の人の声、それから友達の声、そして私どもを取り巻く一切の人倫の声です。
・この言葉の力は大きい。怖いほどです。
・ですから、使い方によっては非常に危険でもあります。ですから、自分の心の奥深くに密かに秘めておいて、決してむやみに使ってはなりません。
・真剣と同じで、真剣は、普段は鞘におさめておくものです。
・でも、それをたくわえておることを知っているだけで、大きな安心を私にもたらしてくれます。
・ただし、押さえておかなければならない大事なことは、この言葉は、あくまでも真に依るべきものは何かということを自分自身に明確にし、そのことによって、依るべきではない外物・他人に依っている為に、それに振り回されている自分を離れる為の言葉だということです。決して偏狭な自己防衛の為に使うべき言葉ではありません。
・では、私が真に依るべきところの、最後に私を救ってくれる自己受容の声とは何でしょうか? それは、小笠原亮一師の場合であればイエスの眼差しでした。
・私の場合であれば、それなくしてはい生きてもおれず死んでもいけない、私をして私たらしめているところの私の存在の底なる法蔵菩薩の声です。言葉をかえれば「もうひとりの自分」の声です。
・この声のみが、私を最後まで受容し、摂取不捨してくれるものです。すなわち、私を「おさめとって、にげても追いかけてきて、捕まえて離さぬ声です。そして、逃げる私を「むかえとり、ひとたび捕まえて永久にすてぬ声」です。
・私が糸の切れた凧のようになってどんな所に漂流しても、その凧の底となって、私に付いてきて運命を一つにしてくださる声です。
・この声は、私の身口意の一切の行為について責任を負うてくださる声です。
・この声は、一切の人が私を捨てても、また私が私を捨てても、決して最後まで私を捨てない「もうひとりの自分」の声です。最後、最終の自己受容の声です。
・この声は、誰の中にも平等に流れています。
・この声が、わたしにとっての南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏