• 悩み多きわれら、親鸞の教えに「自身」を聞かん

新着情報

求道の魂が母の胎内に宿ったのが我らだ

■(先に私が投稿したブログ「永遠の魂の流浪者、求道者、旅人」に対してある方からメールをいただきました。以下は、それに対する私の返信です) ■丁寧にお読みくださり率直なご感想を詳しくお書きくださり心からお礼を申しあげます。 ...

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(ブログNo.20.)法蔵菩薩と他力について

(※ある方への返信というかたちで、法蔵菩薩と他力について考えてみました。) ■先に投稿した(ブログNo17)「南無阿弥陀仏の名号を聞くとは」と(ブログNo18)「魂の永遠の流浪者」を読んで下さったある方から、ご自分の長い ...

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(ブログNO.19)池田晶子と死刑囚陸田真志の往復書簡本『死と生きる』を読む

  ■【本の概要】・・・池田晶子氏は、専門用語によらず日常の言葉によって、「人間にとって考えることの大切さ」について語り続けた真に魅力的な哲学者であった。この池田晶子氏が、東京拘置所に拘留中であった陸田(むつだ)真志から ...

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(ブログNo18)永遠の魂の流浪者、求道者、旅人

■私はだいぶ前にあるご婦人から、次のようなお電話をいただいた。 「今年、亡き夫と義父(夫の父親)の法事を迎えることになっています。しかし、生前二人が私に加えてきた酷い仕打ちを思うと、どうしても二人を許すことが出来ません。 ...

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(ブログNo17)南無阿弥陀仏の名号を聞くとは自己自身を聞くこと

「南無阿弥陀仏の名号を聞くとは自己自身を聞くこと」 ■名号を聞くとは、法蔵魂を聞くことである。  法蔵魂こそが真実の自己自身である。  法蔵魂とは何か。法蔵魂とは法蔵菩薩のわれらに対する絶対信のことである。 々がどんなに ...

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(ブログNo.16)清沢満之の世界(その1)  「外物を外物と知るの心、これ自己なり」 

●清沢満之先生は、御自身のことを「私の如き感じ易きもの」と書いておられます。そのために、人間関係で苦しまれることも多かったようです。その清沢先生に大きな智慧の光を与えてくれた書物の一つが『エピクテタスの語録』でした。エピ ...

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ブログNo.15最後、最終の自己受容の声

 以下の文章は、自分の良心の脅迫に追い詰められて、生きていけなくなった小笠原亮一師が、『ルカによる福音書』に記されているイエスの眼差しに出遇って、生きる意欲を取り戻していった際の内面の記録です。そのイエスの眼差しというの ...

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ブログNo.14「表層の自我と深層の法蔵魂」

■この写真は、清沢満之師の孫で、後に暁烏敏師の孫暁烏宣子さんと結婚して暁烏敏師のご寺坊明達寺に入寺された暁烏哲夫師の著書『信流記』の130頁~131頁の写真です。写真では少し読みにくいかも知れませんので、次にこの文章を書 ...

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ブログNO.13「そんでええがや」の声が聞こえるとき

■清沢満之師は、絶筆『わが信念』の中で、「如来は私の一切の行為について責任を負うて下さる」と言っておられます。そして、その如来は、外におられるのではなく、「私の信念の本体である」と言っておられます。つまり如来は、われらの ...

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ブログNo12.「我(が)の迷いは果して消せるのでしょうか?」

【大石法夫師書信輪読会記録No.9「長生不死の神方」よりの抜粋】(※ファイルの全文はブログの最後にリンクを貼付しています) ■(16頁)我(が)の迷いを軽くみている。その我(が)は久遠劫の歴史をもった底知れないものです。 ...

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