■【本の概要】・・・池田晶子氏は、専門用語によらず日常の言葉によって、「人間にとって考えることの大切さ」について語り続けた真に魅力的な哲学者であった。この池田晶子氏が、東京拘置所に拘留中であった陸田(むつだ)真志から ...
続きを読む■私はだいぶ前にあるご婦人から、次のようなお電話をいただいた。 「今年、亡き夫と義父(夫の父親)の法事を迎えることになっています。しかし、生前二人が私に加えてきた酷い仕打ちを思うと、どうしても二人を許すことが出来ません。 ...
続きを読む「南無阿弥陀仏の名号を聞くとは自己自身を聞くこと」 ■名号を聞くとは、法蔵魂を聞くことである。 法蔵魂こそが真実の自己自身である。 法蔵魂とは何か。法蔵魂とは法蔵菩薩のわれらに対する絶対信のことである。 々がどんなに ...
続きを読む●清沢満之先生は、御自身のことを「私の如き感じ易きもの」と書いておられます。そのために、人間関係で苦しまれることも多かったようです。その清沢先生に大きな智慧の光を与えてくれた書物の一つが『エピクテタスの語録』でした。エピ ...
続きを読む以下の文章は、自分の良心の脅迫に追い詰められて、生きていけなくなった小笠原亮一師が、『ルカによる福音書』に記されているイエスの眼差しに出遇って、生きる意欲を取り戻していった際の内面の記録です。そのイエスの眼差しというの ...
続きを読む■この写真は、清沢満之師の孫で、後に暁烏敏師の孫暁烏宣子さんと結婚して暁烏敏師のご寺坊明達寺に入寺された暁烏哲夫師の著書『信流記』の130頁~131頁の写真です。写真では少し読みにくいかも知れませんので、次にこの文章を書 ...
続きを読む■清沢満之師は、絶筆『わが信念』の中で、「如来は私の一切の行為について責任を負うて下さる」と言っておられます。そして、その如来は、外におられるのではなく、「私の信念の本体である」と言っておられます。つまり如来は、われらの ...
続きを読む【大石法夫師書信輪読会記録No.9「長生不死の神方」よりの抜粋】(※ファイルの全文はブログの最後にリンクを貼付しています) ■(16頁)我(が)の迷いを軽くみている。その我(が)は久遠劫の歴史をもった底知れないものです。 ...
続きを読む・阿弥陀さんは、私に「名号を称えなさい」と言っておられるのだろうか? ・阿弥陀さんが名号を称えて欲しいと言われたのは、私にではなく、十方世界の無量の諸仏たちに対してである。 ・私に対しては、私(阿弥陀さん・法蔵菩薩)のあ ...
続きを読む【この文章を書くに至った経緯】 私は、昭和49年4月大谷大学に入学し、伝道部に入部しました。しかし、入部したその秋、尊敬していた先輩たち3名が、主だった他の部員との方針の違いから伝道部を脱会し、任意グループ「感動舎」を新 ...
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